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● 豊国神社(とよくにじんじゃ)

東山の今昔を物語る、太閤秀吉を祀る社


| 豊国神社について| 豊国神社の歩き方| 基本情報・アクセス

 

 

||| 豊国神社について |||

 

豊国神社豊臣秀吉を祀る神社である豊国神社。慶長4年(1599年)、東山三十六峰のひとつ阿弥陀ヶ峯に、秀吉を「豊国大明神」として祀る、壮麗壮大な神社が創建された。しかし大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡した後は、徳川幕府の命により廃祀。以後250年もの間、草むらに埋もれ庶民の参拝もできない状態で放置されていた。

復興されたのは、明治時代に入ってから。明治元年(1868年)明治天皇が「天下を統一しながら幕府を開かなかったのは尊皇の功臣である」と豊臣秀吉をたたえ、豊国神社再興を命じた。明治6年(1873年)には、別格官幣社に列し、同13年(1880年)、方広寺大仏殿跡地に社殿が完成し、名実ともに復興された。

毎月8日には、骨董・古裂市、18日にはフリーマーケットが境内で開催される。

 

 

“エコ精神”が垣間見れる!? 国宝の唐門

 

伏見城の城門であったと伝えられ、桃山時代らしさが感じられる豪華絢爛な門。総けやき造の唐門は、かって極彩色の彫刻と金箔で飾られていたそうで、今よりももっと派手で美しい門だったそう。
西本願寺・大徳寺の唐門と合わせて「国宝の三唐門」と呼ばれる貴重なもので、唐門正面の「豊國大明神」の御神号額(神様の名前を記した額)は、後陽成天皇宸筆の勅額。

この門は、伏見城の廃城後、二条城へと移された。次に南禅寺の金地院へ、最後に豊国神社へと移された。

昔は建築物の移動が珍しいことではなかったので、「もったいない精神」で移築されることもあれば、関係の深い寺社へと移される場合もあった。秀吉が隠居後に住むために築城した伏見城の城門が豊国神社にあるのは、その関係性を考えてのこと。

日本の建築物は、解体可能な構造をしており、部分ごとに修理して使うことも、解体して運び他の寺社に移築することも多い。1本の木が何百年に亘って使われる究極のエコ精神が、寺社には根付いているということかもしれない。

 

 

 

目を入れると飛び去ってしまう? 左甚五郎の神業

 

豊国神社正面上部の鶴の彫刻には目玉がないため「左甚五郎の目無し鶴」と呼ばれている。これは名人・左甚五郎の彫刻の出来が良すぎたために、鶴に目を入れると魂が宿り飛び去ってしまうと思い、鶴の脱走防止のためにあえて目を入れなかったのだ。

また唐門の扉には「鯉の滝登り」の彫刻がある。鯉は竜門の滝を登って龍になるとの故事があることから、この唐門は立身出世の関門「登竜門」になっている。出世開運の社にふさわしいこの唐門をくぐると、出世できるといわれている。普段は、門をくぐって中に入ることはできないが、正月の三が日やご祈祷の場合は、唐門をくぐることができる。

 

 

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||| 豊国神社の歩き方 |||

 

太閤秀吉のトレードマークを探せ!

 

境内のいたるところに、豊臣家や秀吉のシンボルマークが見つかる。

一つは、豊臣家の家紋“桐紋”。大きなものから小さなものまで、あらゆる部分に桐の意匠が施されている。飾金具など細かな部分にも注目。そのこだわりに驚くかもしれない。

秀吉の馬印(武将のトレードマーク)が“ひょうたん”であったことから、ひょうたんも各所に。一番目立つのは、絵馬だろう。絵馬は「ひょうたん絵馬」(500円)と呼ばれ、長細いひょうたん形をしている。たくさんの絵馬がぶら下がっている様は、まさに“千成ひょうたん”!

秀吉のように立身出世を目指す人は、絵馬に願いを書いてみるのもいいかもしれない。

 

 

 

知っている武将の名前が見つかる?武将の寄進した石灯籠

 

唐門の左右に並ぶ石灯籠は、有名な武将がそれぞれ神社に寄進したもの。当時は、56基あったが、散逸してしまい、現在は8基だけが並んでいる。

石灯籠には、寄進者である武将の名前が刻まれている。知っている武将の名前がないか探すのも面白い。かすれてしまってよく見えないものもあるが、秀吉の側室・淀殿の乳母の子である「大野治長」の名前は、鮮明に確認できる。

 

 

 

大正時代の最先端 ハイテクノロジーの詰まった建築

 

大正14年(1925年)に開館した宝物館は、当時としては最新鋭の鉄筋コンクリート製。館内の展示ケースのガラスは貴重な「大正硝子」。大正時代には、高級品であったガラスを惜しげもなく使った宝物館は建物も必見。

「豊国祭礼図屏風」(狩野内膳筆・重要文化財)、「鉄灯籠」(天下一辻与二郎作・重要文化財)、豪華な高台寺蒔絵が施された「唐櫃」(重要文化財)、使っていた枕など豊臣家や桃山時代を知る資料が焼く80点常設展示されている。

「豊国祭礼図屏風」は、豊臣秀頼の命で狩野内膳が描いたもので、重要文化財に指定されている。慶長9年(1604年)に行われた豊臣秀吉七回忌の臨時大祭礼を克明に記録しており、風流踊りを楽しむ町衆が生き生きと描かれている。風俗や人々の暮らしだけでなく、寺社仏閣や町並みの変遷を知ることができ、当時の東山を知るための貴重な資料である。

屏風の中には、南蛮人、七福神、タケノコなどに変装した人々の姿も見られる。たくさん描かれている人の中から、コスプレを楽しむ人を見つけるのは至難の業だが、見つけたときの喜びは大きいかも。

 

 

豊臣秀吉の血液型は“0型”!?


宝物館には、豊臣秀吉の「歯」も展示されている。これは慶長元年(1596年)に秀吉が、賤ヶ嶽七本槍のひとり加藤嘉明に贈ったものだ。「お前に預けておく」と、茶目っ気たっぷりな書が添えられている。
鑑定によると、この歯は、上あご、左側第二大臼歯(親知らずの1本前の歯)であり、血液型は「0型」。ひょっとすると、この歯が太閤秀吉の最後の歯だったのではないだろうか?

 

 

豊国神社随一の穴場「馬塚」に祀られているのは?

 

太閤秀吉の馬塚宝物館の裏にひっそりとたたずむ五輪塔は「馬塚」と呼ばれている。名前の通り、馬が祀られている……のではなく、仏式で秀吉を供養したもの。豊国神社が徳川幕府の命で廃祀されたことにより、秀吉は“神”ではなく“仏”として祀られるようになった。

五輪塔には秀吉の命日と梵字が刻まれており、ここで“秀吉さん”を偲んだと思われる。なぜ「馬塚」なのか。名前の由来は、江戸時代「豊臣」の名が憚られたため、「馬町」という近隣の地名にちなんでつけられたもので、特に馬とは関係ないようだ。

 

 

 

 


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||| 基本情報・アクセス |||

 

豊国神社(とよくにじんじゃ)

075-561-3802


京都市東山区大和大路正面茶屋町530

 

拝観時間 境内自由 宝物館9:00〜17:00(受付終了16:30)
拝観料  宝物館300円

駐車場 あり

 



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