● 東福寺(とうふくじ)
「通天モミジ」で知られる紅葉の名所
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||| 東福寺について |||
臨済宗東福寺派大本山の寺院。山号を慧日山(えにちざん)と号する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は、九条道家、開山(初代住職)は聖一国師円爾(しょういちこくしえんに)。方丈の「八相の庭」や、紅葉の美しい寺として知られ、宋から伝わった「通天モミジ」と呼ばれる三葉楓など、楓の木が多数植えられ、晩秋には多くの人で賑わう。
「東福寺」の名は、最大の寺院である東大寺、最も隆盛を極めた興福寺、2つの奈良の寺院から一文字ずつもらってつけられたもの。
三門、塔頭・龍吟庵の方丈は国宝に指定され、多くの建造物や絵画、書籍が重要文化財に指定されている。
年に2回の特別公開にだけ見られる「龍吟庵」
東福寺第三世住持の住居跡で、現存最古の方丈建築。方丈は国宝、庫裏・表門は重文に指定されている。方丈を東西南に囲む3カ所からなる枯山水の庭「龍吟庭」は、東福寺の4つの庭と同じく、重森三玲氏の作庭。
南庭 - 白砂敷のみで作られた「無の庭」。草木をまったく用いていないのが特徴。
西庭 - 最も有名な「龍の庭」。寺名にちなみ、龍が海中から黒雲と白雲の間を通って天に昇る姿を石であらわした。竹垣は稲妻を表現している。
東庭 - 赤砂を使った幻想的な「不離の庭」。国師が幼少の頃、熱病にかかって山中に捨てられた時、2頭の犬が猿の襲撃から守ったという故事に基づいている。赤砂には、鞍馬の赤石を使っている。
||| 東福寺の歩き方 |||
片手だけが残った“京の大仏”
方広寺のものとは違う「京の大仏」がかつて東福寺に存在した。高さ15mほどの坐像で、奈良の大仏を意識して作られた「京の大仏」は、明治14年の火事で焼けてしまい、現存するのは片手のみ。巨大な大仏の片手は、本堂に安置されており、3月14日〜16日の3日間公開されている。
堂本印象作の巨大な龍が天井に踊る
本堂の天井に描かれた龍の墨絵は、堂本印象の手によるもの。龍は「火事避け」「悪霊退散」を願って昭和8年に描かれた。本堂は3月14日〜16日の3日間だけ行われる、特別公開に限り見ることができる。
2mの筆と50cmの細筆を使い、板の上に大胆に描かれた絵。描くのにあたり、大量の墨が必要だったため、若い僧侶がずらりと並び毎日朝から墨をすり続けたという。
方丈を取り巻く、意匠の異なる4つの庭
明治23年(1890年)に再建された方丈には、4つの庭園がある。近代の造園家・重森三玲によって昭和14年(1939年)に作庭されたもので、方丈を囲んで四方に存在し「八相の庭」と命名された枯山水庭園。趣きの違う4つの庭を静かに眺めるのも東福寺の楽しみのひとつ。
南庭 - 方丈正面の南庭は210坪、蓬莢・方丈・瀛洲(えいじゅう)、壺梁(こうりょう)の四島に見立てた巨石と、砂紋による荒海、そして西方に五山を築山として、神仙境を表している。南庭全体で「九山八海」という仏教の世界観を表現。
波紋の手入れは専門家が月に2回くらい行っている。波紋に定まった型はないが、ガイドブックや有名なポスターにもよく見られる“定番の形”に整えることが多い。「さざなみ型」など、別のデザインが見られることもある。
北庭 - 裏庭に当たる「市松の庭」は、作庭以前に南の御下賜門内に敷かれていた石を市松模様に配したもの。苔の育ち具合も計算されて作られたような、不思議な幾何学模様は、本格的な抽象絵画を描いた最初期の画家「ピエト・モンドリアン」を意識したとも言われている。
西庭 - 「井田市松の庭」と呼ばれ、さつきの刈込みと砂地が大きく市松模様に入り、くず石を方形に組んで井田を意図している。季節にはさつきの花が咲くなど、色彩の変化も楽しめる。
東庭 - 北斗七星を模して作られた「北斗の庭」には、壮大な宇宙観があらわされている。「東司」の柱石として使われていた石材を廃物利用している。
境内に紅葉が多い理由とは
京都でも有数の“紅葉の名所”として知られる東福寺。境内には「通天」「いろは」など、5種の楓が約2000本植えられており、晩秋には見物客の目を楽しませてくれる。円爾が宋から持ち帰った「通天モミジ(葉先が3つに分かれた三葉楓=唐楓)」が特に有名。
元は桜の名所として知られた地であったが、将軍足利義持が画僧・吉山明兆に望みを問うたところ、「金銭的な望みはないが、境内に多くの桜を植えると後世に遊興の場になるため、それを禁じて欲しい」と言ったため、義持が桜の木を切ったとの話が伝えられている。桜は約600年前に伐採され、代わりに楓の木が植えられたという。
紅葉鑑賞に! 絶景を楽しむ通天台
方丈の中にある縁側からせり出たバルコニーのような場所は「通天台」と呼ばれ、この場所から見る通天橋や紅葉の風景は絶景といわれる。通天台は太閤秀吉が修理した通天橋を江戸時代に移築したもので、すべて木製なのが特徴。
手すりの一部は竹製になっているが、野性のアライグマが木製の手すりを壊してしまうための苦肉の策だとのこと。外来生物であるアライグマは、寺社の驚異になっているという。
東福寺三名橋
主要伽藍の北には洗玉澗(せんぎょくかん)という渓谷があり、西から東へ「臥雲橋(がうんきょう)」、「通天橋」、「偃月橋(えんげつきょう)」という3本の橋が架かっており、「東福寺三名橋」と呼ばれている。華奢な「偃月橋」は、秀吉の正室である“ねね”のために架けられたもの。
重要文化財に指定された「お風呂」と「トイレ」
お風呂にあたる「浴室」とトイレの「東司」が、どちらも重要文化財に指定されている。
浴室 - 明治時代まで使われていた蒸し風呂。多い時には1000人が修行をしていたため、省エネやエコも考え、できるだけ水や燃料の必要ないサウナ形式の風呂が使われていた。入るときは敷物を持って行ったが、それが“風呂敷”の元になった。
東司 - 禅宗の修行では、トイレに行くのも修行の一環。トイレに行く時間も決まっていたため、一度にたくさんの人が使えるトイレが必要だった。座禅場の隣にある東司には、たくさんの壺が埋められており、修行僧たちがトイレとして使った。清潔を守るために、奥にはカマドが設置されており、お湯を沸かして手などを洗ったという。つぼの中にはなぜかたくさんの小銭が。トレビの泉のように再来を祈ってか、それとも運(ウン)が付くようにとのシャレなのか、何かを祈願して観光客が小銭を投げているようだ。
「女人禁制」を貫いたら……
三門正面縁の大額に、足利義持によって書かれた「妙雲閣」の文字。3畳ほどもある大きな文字は、「妙」の字の女編部分が「玄」になっている。禅宗の寺なので女性を入れないようにと、文字からも「女」を排除した結果、少し不思議な文字が誕生した。
三門には、四角い数本の支柱が立てられている。地震の起こった際に豊臣秀吉が修理させたものだが、伏見城も同時に被害を受け、修理が行われたために材木が足りなかった。おかげで丸く削る余裕すらなく、柱は四角いままの材木を使ったといわれている。
||| 基本情報・アクセス |||
東福寺(とうふくじ)
075-561-0087
京都市東山区本町15丁目778
拝観時間 9:00〜16:00 (11月のみ8:30〜16:30) 受付は終了30分前迄
定休日 12/29〜1/3
拝観料 境内は無料
通天橋・開山堂 大人400円、小人300円
方丈・八相庭園 大人400円、小人300円
駐車場 あり
東福寺塔頭 龍吟庵(りゅうぎんあん)
東山区本町15丁目
公開期間:3/14〜16、11/1〜30
拝観時間:9:00〜16:00(11月は8:30〜16:30)
拝観料:大人400円、小人300円