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● 泉涌寺(せんにゅうじ)

東山連峰の月輪山山麓にたたずむ、静謐な寺院


| 泉涌寺について| 泉涌寺の歩き方| 基本情報・アクセス

 

 

||| 泉涌寺について |||

 

歴代天皇が葬られる皇室の香華院(菩提所、位牌を祀り供養する寺)であることから「御寺(みてら)」とも呼ばれる、真言宗の寺院。寺伝では、平安時代に藤原緒継が建立した法輪寺、後の仙遊寺に由来する。


泉涌寺の名は、鎌倉初期に月輪大師俊芿(しゅんじょう)が宋の法式を取り入れて、大伽藍を営むことを志した際、敷地の一角から清水が湧き出たことから改称された。
夏の新緑、秋の紅葉が美しい寺としても知られるほか、観音堂には楊貴妃がモデルという楊貴妃観音像(重要文化財)も安置されている。


毎年3月14日〜16日には大涅槃図が公開され、15日には涅槃会も開かれる。

 

 

独自の宗風を保ち、独特の歴史を紡ぐ寺

 

仏殿に安置される本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三尊仏。南宋の諸寺に倣ったもので、過去・現在・未来の三世にわたって、人類の平安と幸福を祈る人々の信仰を集めている。

泉涌寺は真言宗泉涌寺派の総本山で、独自の宗風を守り続けている。特徴は「律」で、律を中心とした天台・真言・禅・浄土の「四宗兼学」の道場として栄えた。同寺では現在も四宗兼学の教えが引き継がれている。

「四宗兼学」とは、日本を代表する宗派を総合的に学んで修行することを言う。現代の寺院は、4宗のうちどれかを選んで学び、修行するものが主流なため、「四宗兼学」の精神を掲げている寺は珍しい。

 

 

自然に囲まれた、珍しくも美しい伽藍配置

 

通常の伽藍(寺の建物)は平地、もしくは山状に建てられているものが多い。しかし、泉涌寺の伽藍は三方を丘陵で囲まれた地形に配置されている。参道を下って拝する伽藍は、日本全国でも延暦寺と泉涌寺だけだとされる。

泉涌寺の周辺は森に囲まれており、暑い京の夏でも自然の涼を感じるほど。周囲の喧騒から切り離されたような、静かな環境も特徴のひとつ。

かつての社寺は、立札を立てて木の伐採を禁じ、違反する者に厳しい処罰を与えるなど、自然保護に力を入れた。自然を守りつつ、適度に人の手を加えて整えることで、豊かな自然を守ってきた。今はまさに、私達がこのような先人の精神や努力に学ぶ時といえる。

 

 

 

 

 

京都御所を移築した建物で 貴族の気分を味わう

「御座所」という建物は、仁孝天皇の皇后が使用されていた旧御所の御里御殿の一部を、明治17年に移築したもの。そこかしこに、御所として使用されたいたころの調度を見ることができる。

女官の間、門跡の間、皇族の間、侍従の間、勅使の間、玉座の間などがあり、現在も皇室や宮内庁の関係者が来寺したときには休息所として使用されるが、普段は一般にも公開されている。大正天皇の皇后が手ずから刺繍されたテーブルクロスなど、皇室ゆかりのものも使われている。

「御座所」の庭園は、明治17年に作庭されたもの。庭園にある灯篭は、光格天皇が好んだ「泉涌寺型雪見灯篭」。後水尾天皇が上皇となった際に造営された「仙洞御所」より移築されたもので、泉涌寺以外の場所にあっても、同型なら「泉涌寺型雪見灯篭」と呼ばれる。

 

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||| 泉涌寺の歩き方 |||

 

絶世の美女・楊貴妃には“ひげ”が?

 

玄宗皇帝(唐の第6代皇帝)が、亡き妃を偲んで作ったとの寺伝のある観音像は、湛海律師(鎌倉時代の高僧・俊芿律師の弟子)によって招来された。以前は秘仏とされ、100年に一度しか開帳されていなかったが、現在はいつでも拝観できる。お参りすると美人になれるともいわれ、特に女性の参拝者が多い。

日本の仏様とは違う、オリエンタルな美を感じさせる観音様は、「楊貴妃」名にふさわしい慈愛あふれるお顔つき。思わず見とれてしまう人もいるという。気になるのは観音様の口のまわりに見える、“ひげ”のようなもの。女性的な観音様になぜ“ひげ”があるのかは、一つの謎だが、インドに始まる長い仏像の歴史が背景にあるという。

たまたま宋より持ち帰って、泉涌寺に安置したとされる「楊貴妃観音像」だが、楊貴妃と泉涌寺の間には深い関わりがあったという。

中国・唐時代の詩人である白居易(白楽天)によって作られた長編の漢詩「長恨歌」。玄宗皇帝と楊貴妃のエピソードを歌ったもので、日本でも流行し、「源氏物語」など日本文学にも多大な影響を与えた。「長恨歌」は、白居易らが中国にある「仙遊寺」で歓談していた際に作られた。泉涌寺の元の名前は「仙遊寺」であり、「長恨歌」の作られた場所と同じ名前を持っていたのである。

 

 

 

バトミントンコートより大きい! 日本一の「大涅槃図」

 

一年のうち3日だけ公開される、縦15.1m、横7.3mと日本最大の涅槃図。江戸時代中期の僧・こかん(こかん)明誉上人が描いたもので、釈迦の入滅(死去)を悲しむ人や動物の様子が描かれている。

ちなみにバトミントンのコートは、幅が6.1m、奥行きが13.4m。「大涅槃図」はバトミントンのコートよりも大きいため、展示にも一苦労するという。普段は巻いた状態で置いてあるが、それでも驚くほど大きい。

 

 

 

日本初の“国際文化発信地域”として発展!?

 

泉涌寺は、古くから異文化の発信地として発展してきたという。泉涌寺を創建した俊芿律師は、中国・宗に渡って12年間も勉学されて帰国した。従って、中国語が巧みで、中国僧もたびたび訪れた。

鎌倉時代に南宋から来た禅僧・蘭渓道隆は、1年ほど泉涌寺に滞在した。泉涌寺に伝わった最新の文化が、日本国内へと発信されたのである。

異文化は、通常海辺の町から広まることが多いが、鎌倉時代に一つの中心となったのは、京都の山中に建つ泉涌寺。異文化の最新情報が伝わり、国際的な視野を持つ人々が育成されていたのが、泉涌寺だったといえる。

 

 

 

清冽な水が生み出した「泉涌寺窯」

 

泉涌寺の清水を利用し、周辺では焼き物が発達した。現在も東福寺と泉涌寺の間には、約50軒の窯元が並ぶ。毎年紅葉の季節には、窯元の実行する「泉涌寺窯もみじまつり」も開かれている。

 

 

 

 

 

 

 


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||| 基本情報・アクセス |||

 

泉涌寺(せんにゅうじ)

075-561-1551

京都市東山区泉涌寺山内町27

 

拝観時間 9:00〜16:30(12月〜2月は9:00〜16:00)

拝観料 500円(宝物館含む) 御殿庭園特別拝観 300円

 

駐車場 あり

 http://www.mitera.org/



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