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● 智積院(ちしゃくいん)

和歌山由来の真言宗智山派の総本山


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||| 智積院について |||

 

明王殿真言宗智山派の総本山であり、山号を五百佛山(いおぶさん)、寺号を根来寺(ねごろじ)という。もとは和歌山県の根来山内に在ったが、豊臣秀吉根来攻めの難を逃れるため和歌山を離れた。

文禄元年(1592)に豊臣秀吉が愛児・鶴松のために創建した祥雲禅寺の寺域と、豊国社の社域であったところを、慶長5年(1600)、玄宥僧正が家康から土地と建物をもらい受けて再建した。

現在の講堂は、興教大師850年御遠忌記念事業(1992年)として再建されたもの。講堂再建に先だち行われた発掘調査の際に検出された、祥雲禅寺方丈客殿の遺構にあわせて建てられている。

長谷川等伯・久蔵父子の作の「大書院障壁画」25面、「紙本金地著色松に草花図」二曲屏風一隻、「金剛経」などが国宝に指定されており、曼荼羅図などが重要文化財に指定されている。

 

 

 

 

 

真言宗智山派の総本山として3000弱の寺を束ねる

智山派総本山として知られる智積院。同じ智山派には、成田山として知られる千葉県成田市の成田山新勝寺、「川崎大師」の通称で知られる神奈川県川崎市の川崎大師平間寺、東京都八王子市の高尾山薬王院などがある。
智山派の寺院は全国各地に分布しているが、千葉と埼玉にとくに多く、全体の半数以上を関東地方の寺院が占めている。そのため、智積院内も関東の寺院から来ている人が多く、智積院内は言葉も雰囲気も京都とは違うのが特徴である。

 

 

 

 

 

 

各地から学問を志す人が集まる「大学」寺院

江戸時代、智積院は現在の大学のような機能を果たしていた。天文、地学、梵字などの学習もできたため、同宗派の学侶(学僧)だけでなく、他宗派の僧や一般人までもが学びに訪れる開放された場であった。学侶たちの教科書を刷るため、当時の一般社会にはないような高度な印刷技術を有していたという。多い時には1000名の僧が学んだ地であった。

江戸初期には、すでに学侶が自由に行き来できるシステムが構築されており、進んだ考え方を持った寺でもあった。現在も僧侶を志す人が修行する「学山」であり、毎年30名ほどの人が修行道場で僧としての修業を積んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

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||| 智積院の歩き方 |||

 

長谷川等伯・久蔵父子が描いたダイナミックな障壁画

収蔵庫には、長谷川等伯・久蔵父子が描いた金碧障壁画が納められている。桃山時代の最高傑作とも評される祥雲禅寺の客殿を飾った金碧障壁画のうち「楓図」「桜図」「松と葵の図」「松に秋草図」などは国宝にも指定されている。「桜楓図」のうちの「桜図」は26歳で夭逝した長谷川久蔵の遺作。「桜図」が完成した、わずか1年後に急死している。「楓図」は久蔵の死後、その悲しみに耐えるなかで描かれたもの。息子の死が長谷川等伯の作風に与えた影響を垣間見ることができる。

収蔵庫内で本物に触れられるほか、名勝庭園に面した部屋には極彩色のレプリカが飾られ、豪華絢爛な当時の風情を楽しむことができる。

 

 

 

東山随一と名高い、利休好みの庭

利休好みの庭園祥雲禅寺時代に原形が造られた庭園は、「利休好みの庭」と伝えられ、山は中国江西省にある名山「廬山」、池は「長江」をモデルにしている。智積院になった後、第七世運敞僧正が修復し、東山随一の庭と呼ばれるまでになった。

数多く配された景石とサツキの刈込みが特徴で、縁先には立派な一文字型手水鉢も見られる。築山の前面には池を配しているが、池が大書院の下にまで入り込むように造られているため、まるで池に浮いているかのような感覚が味わえる。

 

 


豊臣・徳川の思惑に揺れた歴史

絢爛豪華な祥雲禅寺のなごり天正17年(1589)、豊臣秀吉の愛妾・淀殿が鶴松(捨丸)を産んだ。喜んだのもつかの間、鶴松はわずか3歳で亡くなってしまう。鶴松の菩提を弔うため妙心寺の高僧・南下玄興を開山として建立されたのが祥雲禅寺。鶴松の法名・祥雲院にちなんで名付けられたといわれている。絢爛豪華に作られた寺は「都一番」との評判も高かったという。

かつて秀吉が紀州攻めをした際、根来寺の僧たちが頑強に抵抗した。秀吉は怒り、根来寺全山を焼き払っってしまう。根来山塔頭寺院の学頭をしていた玄宥僧正は、多くの学僧とともに難を避けるため、高野山、京都と各地を流浪しつつ、再興を願っていた。

「大阪夏の陣」で豊臣氏が滅亡した後、徳川家康が根来寺・智積院の再興を認め、祥雲禅寺を下げ渡した。豊臣家の影響を払拭したかったという側面と共に、関ヶ原の戦いの戦勝祈願をしてくれた玄宥僧正への褒美の意を表したものだともされている。下げ渡しは、第三世・日誉能化の時に二条城で告げられたが、同席していた金地院崇伝が「誠に羨ましい」と言ったとの話も伝わっている。

 

 

 

築城の名手・加藤清正に由来する桔梗紋

智積院の寺紋は桔梗。寺内のそこかしこで、桔梗の紋を目にする。

桔梗紋の由来は、豊臣秀吉の家臣であった加藤清正の家紋から。藤堂高虎と並ぶ築城の名手としても知られる加藤清正、熊本城、江戸城、名古屋城など数々の城の築城に携わっている。その加藤清正に命じられたのが、祥雲禅寺の建立だった。その際に十分な働きをして、立派な寺が作られたことを喜び、加藤清正の家紋がそのまま寺紋として採用された。

智積院金堂の参道前にはキキョウもたくさん植えられ、季節になると美しい花を楽しむことができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホタルが飛び交う、美しい寺を再建!

湧き水に恵まれた智積院。かつては、夏になると境内をホタルが飛び交ったという。現在も地下水が湧き出ており、井戸もいくつかは使えるなど、きれいな水に恵まれている。ホタルが自生する寺の再現を目指した活動も行われているという。

 


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||| 基本情報・アクセス |||

 

智積院(ちしゃくいん)

075-541-5361
京都府京都市東山区東大路通七条下ル東瓦町960


拝観時間 9:00〜16:00(収蔵庫及び名勝庭園のみ)
拝観料 500円(収蔵庫及び名勝庭園のみ)

駐車場 あり

http://www.chisan.or.jp/sohonzan/



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